はじめに

このブログ記事はカンボジアで日本語学校を運営しながら、実体験を基に個人的な意見として書いております。日本語教育関係者の皆様にも色々ご意見や考えがあるかと思いますが、あくまでも私個人の考えですので予めご理解下さい。

子供から自然と覚えた日本語

日本語学校をスタートして最初に思ったのは、日本語を教えるのは非常に難しいって事です。私は日本人だからカンボジアで学校をするまでは、当たり前の様に日本語を使っていました。特に自分の日本語能力を考えた事もなく、幼い頃から自然と見につけた言語です。

日本人の中に、日本語の文法を意識して話している人がどれだけいるんでしょうか?今書いているこのブログ記事にしても、日本語の先生からすると間違った文法や表現がいっぱいかもしれません。それでも恐らく、日本人なら私の伝えたい内容は理解してもらえるはずです。

生まれて最初に話す言葉は、恐らくママとかパパとか身近に存在する言葉だと思います。赤ん坊は物心がつく前に本能的に何かを伝えたいから言葉を覚えるんだと思います。それは間違った言葉であっても、伝えたい人に伝われば満足し、伝わることが分かれば、また次の言葉を覚えるんだと思います。

そうやって言葉で家族と意思疎通ができる事が楽しく、便利で必要だから自然と言葉を学び、家族以外に出会った人にも伝えたいと思うから、また言葉を覚えるんだと思います。つまり日本語を覚えるのにまず大切なのは、他人に何かを伝えたいと言う気持ちではないかと思います。

先進国と途上国の違い

私は過去に英語を勉強したいと思ったことがあります。今も英語は苦手なのでずっと思っていますが、ただ思うだけです。前に友人から言われた事があります。

「巧さんは言葉が通じなくても何とかなる人。私は言葉が通じないとストレスになるので頑張って勉強します。」

そう言われて、私は素直に納得しました。
それが必要な事なのか、そうでないのか・・。

私のように少し英語が話せたら良い。少し英語が話せたらかっこいい。これは必要ではなく、贅沢の部類です。このブログを読んでいる皆さんの中にも私と同様に英語学習を挫折した人はいませんか?ならそれは、あなたにとって必要ではなかったと言う事だと思います。

一般的な日本人なら英語塾に通う学費の支払はそんなに大変な事ではないと思います。たとえ途中で辞めても払った学費は仕方ないと諦めます。

でも、途上国の人々はそうはいきません。

ここカンボジアの平均月収は3~4万円。ここ数年で所得は上がったと言っても、先進国の人々がもらえる所得に比べるとかなり低いです。私の住むアンコールワット遺跡があるシェムリアップはとても田舎です。月に1万円以下の収入しかない人々はたくさんいます。そんな彼らは毎日を生きるのが必死なので、贅沢で語学を学ぶ余裕なんて当然ありません。

では、なぜ英語や日本語など他言語を勉強するんでしょうか?

答えは、より高い収入を得る為です。つまり私の学生は生きるために日本語を勉強しています。もし、日本語を勉強しても収入に繋がらないと思えば、彼らは今すぐ他言語である英語や中国語を勉強するでしょう。

興味や遊びから学ぶ日本語

習慣や日常生活は国によって違います。日本人には変な習慣もカンボジア人にとっては普通だったりします。他国の習慣や日常生活に興味を持つ事はとても大切で、ビジネスをする上でも様々なヒントが隠れています。これは日本語の勉強も同じです。

日本で好きなものはナニ?
「さくら・・富士山・・刺身・・天ぷら」

日本で知ってる場所は?
「東京・・大阪・・広島」

興味があるところから、日本語を使って話をどんどん膨らませて行きます。学生たちの口から積極的に日本語が出るように導きます。

とある大学院教授の記事を読んだ事があります。彼は中学生の英語授業においてレゴブロックを使いました。最初に簡単な物語を考えさせます。学生は自作の物語をレゴブロックを使って説明しなくてはなりませんが、ルールとして英単語を使うこと。それでも学生は楽しそうに、レゴブロックで様々な作品を作ります。そして覚えた英単語を使い、自作のレゴブロックを使って、自作の物語を話します。

そこに英単語を覚える苦しさはありません。むしろ授業中にレゴブロックで遊べて楽しかったのではないでしょうか。

語学勉強とは地味で苦痛な事かもしれません。

私自身、日本語を教えていてそう思う事があります。

でも、楽しい話をしたり、何かに集中している時間と言うのは、とても心地よく、時が経つのを早く感じるものです。恐らく、興味がある話で盛り上がっている時や、レゴブロックで何かを作っている時は、決して苦痛ではなく、心地よい時間が流れているはずです。

こんな有名な一言もあります。

「英語力をつけるなら外国人の恋人を見つけなさい。」

確かに英語力は上達しそうですよね(笑)

アウトプットの大切さ

私の住んでいるシェムリアップはとても田舎です。カンボジア人もシャイな子が多い。日本語を勉強してもなかなか話そうとしない。日本人もどちらかと言うとシャイですよね。だから英語を勉強しても外国人の前では無口になります。私もそうです(苦笑)。

私の知人にフランスの大学で語学留学経験のある人がいます。以前その彼が私に質問をしました。

「留学生でフランス語を一番先に覚えるのは、どこの国の人だと思う?」

私は見当もつかないので黙っていると、彼はこう言いました。

「正解は中国人。彼らはデタラメなフランス語を恥ずかしいとも思わず、フランス人に対して積極的に話します。私はそれを見ていて恥ずかしいから、もっと上手になってから話せばいいのにと内心思っていました。」

「数ヶ月が経ち、その中国人がフランス人と楽しそうに話しているのを見て、やっと気付きました。」

「私は何のためにフランスまで来て語学勉強をしているんだろう・・。」

彼は冒頭で話したシャイなカンボジア人、日本人と同じだったわけです。

言葉は人にアウトプット(伝える)ことで、学び、修正し、正しい言葉へと導かれます。テキストで勉強し、何度も何度も書いたとしても、アウトプットが出来なければ語学力は上達しません。

漢字の克服が日本語レベルを飛躍的に伸ばす

外国人に日本語は何が難しいと聞くと、必ず「漢字」と答えが返ってきます。漢字を使う中国は別として、その他の国の人たちは恐らくみな同じ答えだと思います。

うちの生徒も当然同じ答えです。

「先生~漢字が分からない・・。」

でも、漢字を覚えるのはとても大切な事です。漢字を避けては日本語の上達はあり得ません。私の住むシェムリアップは観光地ですので、日本語ガイドもたくさんいます。話すだけなら日本語が上手なガイドさんも多いです。ただ、漢字が書けない、読めない人も多く、それだと日本語レベルは初級から中級が限界だと思います。

「わたしはきのうくるまにのってふるさとにかえりました。」

ひらがなだけの文章だと、日本人だって読みにくいですよね。

どれが名詞で、どれが動詞で、どれが助詞なのか非常に分かりにくいです。漢字には部首があり、いろんな部品が集まってひとつの漢字になります。逆に言うと漢字が読めて意味が分かれば、ひらがなを読まなくても文章がほぼ理解できます。

漢字の教え方に正解はないと思います。ただひとつだけ言える事が、漢字が面白い、漢字をもっと覚えたいと思った学生は必ず日本語が上手になります。

ちなみに私の学校では、初級から簡単な漢字を書くようにしています。

「私は・・・」

「行きます・・」

など、日頃からよく使う言葉は最初から漢字で覚えさせるようにしています。これは漢字の苦手意識をできるだけ少なくする為と、漢字に興味を持って欲しいからです。

また、「亻 にんべん」は人に関係すること、「氵 さんずいへん」は水に関係することなど、簡単に部首の説明をし、部分的に漢字の意味を伝えるようにしています。

「Yes」と「No」で言えない日本語の曖昧表現

最後に、日本語が本当に難しいと思うのが、曖昧な表現です。

良くも悪くもない言い方や、お世辞的な言い方や社交辞令など。使い方によっては同じ言葉で逆の意味になったりします。日本社会で実際に生活をしないと身につかない日本語がたくさんあります。

日本語のコミュニケーションに関する意識調査では
「本音と建前が違うことがある」と回答した日本語学習者が77%、
「自分の考えをはっきり言わない」と回答した学習者が72%とあります。

例えば、
「ちょっと」とは少しとか少々とかを意味しますが、

「ちょっと、すみません。」
この、ちょっとは呼びかける時によく使いますし、

「今日はちょっと・・。」
この、ちょっとは断りを和らげる様な効果があります。

ほんと、日本語は難しい。
でも、様々な表現ができるのも日本語の楽しいところでもあります。

私はカンボジアに来るまでは先生をした事がありませんでした。本も読まない、勉強もしない人間でした。今は勉強をする意味が少し分かります。勉強が楽しいと思える瞬間があります。

たくみ日本語学校
代表 今井 巧